津村隊長バドミントン秘宝館
「バドミントンに対するマニア度であの人の右に出る者はいない」と、前々から噂には聞いていたが.....。
自他共に認めるバドミントン・クレイジー、津村正道氏(=隊長)のご自宅を訪問し、門外不出のコレクションを拝見させていただきました。
まずは「挨拶代わりに」と並べられた今は亡き月刊誌バドミントン界。もちろん全号あります。1年分ごとに特製バインダーに綴じて保存されています。
バドマガも全部あるけど、自慢にも何にもならんやろ。」と軽々と言ってのける隊長、この時点で取材班は「参りました!」。

『バドミントン界』は、全国のバドファンと
特派員契約して情報を集めていて、隊長もその一人だったそうです。
これは、1979年2月号で隊長が近畿高校選手権をレポートしたもの。
『バドミントン界』1975年2月号の表紙(左)は、四條畷学園高校2年ながらユーバー杯メンバーの徳田敦子選手(当時・四條畷学園女子短大)を破り一躍注目を集めた植野恵美子選手(後の全英選手権女子複チャンピオン、現在も大阪府レディース連盟で活躍中)。

1975年1月号の裏表紙(右)は、
サンバタ社(ヨネックスがヨネヤマラケットだった頃は親会社だった)のオールスチール製2本シャフトラケット
『バドミントン界』1975年4月号。
桜田淳子・黒沢年男主演の映画『スプーン一杯の幸せ』撮影シーン。

(左写真)桜田淳子さんのスコート姿がカラーページ見開きで登場。

(下写真)写真で見る限り、ラケットをイースタングリップで握っていて、なかなか美しいフォームですね。
1983年デンマークで開催された世界選手権の日本代表選手用ブレザー
河村茂美選手(元・三洋電機)から譲り受けたもの。胸ポケットにはNBA(日本バドミントン協会)のエンブレムが...。
説明不要、三洋電機のゲームシャツ
もちろん選手が実際に着用していたものです。
東海林、菊池、高峯、星、小池、廣田、宮村姉妹など多くの代表選手を輩出し、'97年に輝かしい歴史の幕を閉じた名門チームサントリーのゲームシャツとTシャツ。ゲームシャツ(左)は、1994年の全日本総合女子シングルス決勝で水井妃佐子選手をマッチポイントまで追い詰めた大田貴子選手から譲り受けたもの。
第1回日本リーグ(1979年)大阪大会の記念ステッカー。ちなみに、参加チームは、男子がヨネックス・電電東京・全日本学生・カワサキ・高岡市役所、女子がサントリー・ヨネックス・カワサキ・全日本学生・日本電装でした。
日本リーグに
全日本学生チームが出ていたんですよね。男子チームが復活すれば、中西・新開・川前(日大)、佐藤・佐々木(富士短大)、仲尾・坂本(筑波大)、大束真(日体大)、松下(近大)などで強豪チームができるのにな〜。

1974年のヨネックスカタログ。ページ数は現在の半分もありません。
一見、何の変哲もないアルバムですが...
表紙をめくると女子選手の白黒写真。
説明書きを見ると、何々...「
相沢マチ子・竹中悦子」。そうです、1970年代に世界王者として君臨したアイドルペアのナマ写真でした。
隊長曰く、「僕が正強学園高校に在学していた時に、相沢・竹中選手が模範試合をしに来たんです。相沢・竹中といえば、実力・人気ともに陣内貴美子や米倉加奈子の比ではなかったんですよ。二人が来ることが決まってから2週間は興奮して眠れない日が続きましたね。」
アルバム1ページを占領する大きさに引き伸ばされた相沢マチ子選手の写真(左)。
「スコートの丈が今とは比較にならないほど短かったんですよ。まさか、この格好で男子校(正強学園)に来るなんて...」(隊長談)
津村隊長は、単なるバドミントンコレクター(=オタク)ではありません。正強学園高校3年の時(1974年)にはインターハイで団体優勝しているのです。前列右から2人目が隊長です。
そのインターハイの奈良県予選の会場に掲げていた「打倒一条(奈良市立一条高校=正強のライバル)」の
手書き横断幕








正強学園で培った熱き魂は今なお健在で、隊長本人は大阪社会人連盟の
なかよしパワーズで、奥様は大阪府レディース連盟の泉ヶ丘クラブで、長女・優衣ちゃんは瓜破西SSCで活躍中(全日本ジュニア中学新人の部シングルス3位)というバドミントン一家を支えています。

                                 バックハンドを練習中の優衣ちゃん→
                                 (なかよしパワーズの練習会にて)
という訳で、津村隊長のバドミントン・コレクションのほんの一部をご紹介させていただきました。ホームページではお見せできないのが残念ですが、隊長が自ら大会会場へ出かけて撮影した貴重なビデオテープなど、取材班をうならせる逸品がそこかしこに保管されていました。
突然の取材に快く応じて下さった津村隊長、どうもありがとうございました。